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私は飲んだら書きません!
第三回「記憶の扉を開く鍵」〈エッセイ〉

カテゴリー お酒・遊び・夢・旅・仲間・おしゃれ 等

幼い頃からヒザが悪かった。
そのため小学校の中学年に、祖母によく「蛇神様(へびがみさま)」へ連れられて行った。

神様といってもそれは大きな神社ではなく、住宅地にある普通のお宅だった。入り口には幅1メートルの、5、6段ほどの石段があり、そこに足を踏み入れるには赤く塗られた鳥居をくぐる。ところどころ苔の生えた黒い石段を、滑らないように上る。玄関扉の上部に稲わらで編んだ太めの注連縄が飾られ、紙垂(しで)が風で揺れていた。

玄関を開け、「ごめんくださァい」と祖母が大きく挨拶する。奥から、「あいあい、お上がんなさい」と張りのある声。座敷に入ると、ふっくらした祖母に負けないほど大柄な〝オッカサマ〟が出てきて、「おーうおう、よぉ来たね」と目じりを下げた。

オッカサマは袖のない麻の装束を羽織り、首には大玉の数珠を掛けていた。座敷の一角には燭台や香炉の並ぶ古びた祭壇があり、お札や蛇の絵も周囲に飾られていた。祭壇の、注連縄の下がった奥にはご神体が鎮座していたのだろうが、子ども心に覗き込むのもはしたなく思えて、祭壇に近づくことはなかった。
初めて蛇神様へ行った日、祖母が、「この子、ヒザが痛いっていうんですワ」と訴えた。オッカサマが「どれどれ」と私のヒザを触る。しばらく撫でてくれたあと、祭壇の前に座り、祈祷が始まった。

強弱の付いた呪文のような、歌のようなものをオッカサマが唱える。それを祖母と正座をして聞いた。後ろ姿なのでオッカサマの表情は見えないが、パーマネントを当てた短髪の巻き髪が、声に合わせて忙しなく揺れる。時々、オッカサマが立ち上がって振る大幣(おおぬさ)を、頭で受けた。祖母がそのたびに、手に持った数珠を大げさに鳴らす。

祈祷は10分くらいか。終わると線香の煙が漂う中で、白い紙の薬包をいくつか渡された。「体にいいから、日に何度か飲みなさい」

家に帰り包みを開けると、それはざらざらとした真っ黒い炭の粉だった。細かいかけらも交じっている。指につばを付け、炭をくっつけた。
舐める。
……苦い。
かけらを噛み砕くと、歯がキシキシした。
苦い。
しかし、食べつけるとそれが美味しく思えてきた。苦味の奥の、塩気も感じられる。
炭の食用というのは、いにしえからの民間療法の一つという。腸の老廃物を吸着して排出してくれることから、解毒のために持ち歩く人もいたそうだ。ミネラル分も豊富で体づくりにも良いとされ、私のヒザ痛を和らげるため、骨や筋肉の強化の一助になればと授けてくれたんだろう。

以来、数十年。蛇神様のことなどとうに忘れて、立派なウワバミになった私だが、ある瞬間、思いもかけず記憶が蘇った。
日本酒に、あの味がするのだ。苦くて、ほんの少し塩気のある、あの味。あごの奥がじぃんと揺れるように、静かに広がる感覚。不快ではなく、逆に好ましく、おいしい味。
どの日本酒にも感じるわけではない。純米酒や吟醸酒、山廃や生酛といったグレードや製造法にも関係性はない。
何年も気になっていて、このエッセイを機に日本酒分析のプロ中のプロに伺ってみた。「あの味は何なのでしょう?」――。
日本酒の工程の一つに、活性炭濾過というものがある。品質向上や品質保持を目的に余計な要素を取り去るが、その濾過が理由で酒に炭の味が残ることはない。苦みというのも活性炭濾過で取れる。ただし、苦味の元となりえる成分が製造段階で多く含まれていた場合には、その限りではない……。
なぜ炭のような味わいがするのか? それは判明しないが、人間の舌センサーの働きや反応というのは人の記憶とも複雑に絡み合っていて、以前、食べたり飲んだりした味に近い「何か」が、呼び覚ますものもあるのでしょう――とのことだった。
次から、蛇神様への扉を開けてくれた日本酒をメモしておこうか、と考えたが、やめた。出会い頭だからこそ、増幅する楽しみもある。
そういいながら、祖母とオッカサマが向き合い、話す声音が、一文字打つごとに明確になってきた。こりゃあ、扉が全開放した、のかな?(笑)。

大人になってからのお気に入りの苦味は実山椒。写真中央は自作した山椒の醤油漬け

石坂智惠美(いしざかちえみ)■記述家。1965年生まれ、新発田市出身。著書に、ルポ作品「新潟を有名にした七人の食人(しょくにん)」(新潟日報事業社刊)、「魚屋の基本」(ダイヤモンド社刊)、小説に「飛べ!ダコタ 銀翼の渡り鳥」(東邦出版刊)ほか。新潟清酒を題材にしたエッセイ、ラジオドラマの脚本も手がける。
連絡先 chemmy_wtb@yahoo.co.jp

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